2009年12月25日

クリスマスのよるに。

向こうからたてつづけに走ってくる車のランプに照らされながら、
空き地のフェンスには、瞬間ごとの、たくさんのわたしの影が走り去っていく。
瞬間ごとにさようならー という動画のようだったので、
瞬間ごとにさようならをするみたいに歩いてみたら、
瞬間ごとに、どんどん、ほんとうに脱皮していくかんじがした。

赤いコートのポケットに両手をつっこんだまま、
右ななめうしろから、白いイヌコがくっついてくる姿を想像してみたら、
とてもしあわせな気持ちがして、涙が出そうだったので、
家にたどりつくまでのあと5分、クリスマスのよるに、イヌコと散歩をする。

真っ暗な夜の庭で、葉っぱを落としたハナミズキの枝を下から眺めると、
まるでフラクタル図形だった。
こんなところにすべてがあった、そういうかんじ。 科学も芸術も数学も。


20091219_018_.jpg
これは庭じゃないよ。 上野公園で見上げた吹き絵のような木。
画素の少ない Nokia で撮ったら、枝が毛細血管。 生命の宇宙。 どくどく。



無言で意思表示したい方、ひとこと言っておきたい方、クレームをつけたい方も。こちらで受け付けております。
 ウェブハクシュ
posted by Riccazow at 22:58 | TrackBack(0) | ひとりごちる

2009年12月23日

『聖なる怪物たち』 12/19

sacredmonsters
上野 東京文化会館 15時開演
1階 5列 上手

シルヴィ・ギエム (Sylvie Guillem)
アクラム・カーン (Akram Khan)

ヴァイオリン: アリーズ・スルイター
パーカッション: コールド・リンケ
ヴォーカル: ファヘーム・マザール
ヴォーカル: ジュリエット・ダエプセッテ
チェロ: ラウラ・アンスティ

振付 (ギエムのソロ): 林懐民
振付 (カーンのソロ): ガウリ・シャルマ・トリパティ
芸術監督・振付: アクラム・カーン


         −−−−−−−−−−−−−−−

アクラム・カーンが踊りだすといつもそう。 まず、胃を覆う筋肉にぎゅっと力が入る。
舞台から放射される生の震えにふきとばされないように、必死にしがみつく。
全身の細胞が振動しながら、ときどき震えだか涙だかわからなくなりかけながら。

アクラム・カーンが、どっしりと緻密に、大地に根を生やす樹木であるならば、
シルヴィ・ギエムは、幹を伝い、空気の合間を匂いながら、天に手を伸ばす蔓。
つづきを読む>
posted by Riccazow at 00:26 | TrackBack(0) | 舞台観劇感想

2009年12月20日

生きる, 瞬間, 知覚, 笑う

冬。 夜空の高さに、頭がきーんとする。
冬の夜気の神聖さを顔じゅうにあてるように歩くのがいい。
オリオン座にシリウスに、リゲルとペテルギウスを北へ結ぶ延長線上には
ボルックスとカストルのふたご座が住んでいる。
星ぼしがくっきりと。 子どものころに持っていた星座盤みたいな空。

わたしの脳味噌がパソコンに向かってカチャカチャとやっているだけで
さも何かをわかったようなつもりになっている間にも、
古代の人びとは昇ってきた太陽と対話し、土地のものを食べることで命をつなぎ、
夜は神話を星になぞらえ、崇め祈り、眠る。
すべては身体を通しての、そういうふうに生きる暮らしがあったのだろうな。

         −−−−−−−−−−−−−−−

土曜日は、しばらくぶりに上野へ。
思えば高校生の頃、いろんな男の子と歩いた気がする上野公園。
あの頃はつないでいる手のひらの感覚だけに全神経を注いでいるような、
指がギュッとなった瞬間の記憶だけがすべてです、というような女子だったから、
自分もこういうふうに歳を重ねていくことなどまるで想像しえなかったし、
ましてや木々のすき間に差し込む光の具合を愛でながら歩く感覚など、
当時のわたしが知ったら、それじゃあまるでおばあさんの散歩だとか言って、
笑っちゃったりするんだろう。

『聖なる怪物たち』 開演2時間前に上野公園に到着し、
舞台の前に 『聖地チベット展』 へ行こうと曇り空の下、文化会館の裏手へまわった瞬間、
建物の縁から差し込んできた光の切れ端に、はっともらい泣き。
この雲のカタチも、光の分量も、歩く人びとの平和なテンポも、空気が含むもの、
これらが全く同じ割合でピタリと配合される瞬間は、もう永遠に訪れないのだと思ったら、
ここに存在しているすべての美しさ儚さに、涙がするーっと出てきた。

20091219_002 20091219_002_1 20091219_002_2

つづきを読む> 【追記 12/21 22:40 コメントありがとうございます】
posted by Riccazow at 15:40 | TrackBack(0) | ひとりごちる

2009年12月19日

怒りと、インド方面。

明け方5時40分、不安定に積み重ねっぱなしだったCDが崩れる音で目が覚めた。
生きている間に、いずれはわたしも、大震災に遭遇したりするんだろうか。
まあ… その時はその時でしかない。
命の糧を豊かにもたらしてくれる大地がどっしり穏やかに構えるその下で、実は、
マグマが静かに熱く、地球はいつでもその源に火のエネルギーを燻らせているのだった。
そんなことを思い出させられた朝。

「怒りの気持ち それは自らに盛る毒素のようなものだ」
というインディアン (ホピ族) の教えを、わたしは選択の余地なく支持しているし、
そもそもわたしは怒るのが得意じゃないし、怒る前に他の方法をとるだろうし、
怒るのは好きじゃないのだけれど、
風が凪ぐ大地の下で燻っているマグマを想像するとね、
火の怒りって、実は生きてゆく根源の力なんじゃないかとも思えてくるのだ。

タチアナ・タラソワ女史が、浅田真央嬢に、「もっと怒りなさい」 と助言した意図は、
ニコライ・モロゾフ氏が、織田信成に、「怒りのステップを」 と指示した意図は、
そういうところにあるのだろうか。 ふと、そんなことをマグマに思う。
つづきを読む> 【追記 12/20 15:00 コメントありがとうございます】
posted by Riccazow at 02:20 | TrackBack(0) | ひとりごちる

2009年12月17日

OUR DAILY BREAD

 大事なことは、説明しすぎないことです。
 テレビが典型なのだけど、説明過剰、つまり加算方式なんです。
 だから必死になって説明するし、結論を見せようとするし、分かりやすくしようとする。
 その結果、ナレーションをつけたり、音楽を流したり、笑い声を入れたり、
 クイズにしたり、テロップをつけたりと徹底した "足し算" になってしまう。
 でも、表現は "足し算" ではだめです。"引き算"じゃないと。
 徹底的に引き算をやった末に残ったもの。その欠落が見る側の想像力を喚起します。
 単に消費するだけじゃなくて、自分もその作品に参加するんです。
 (中略)
 そこから何を自分の中で紡ぐか。それがメタファーで、とっても大事なことなんです。
 それが豊かな作品が名作だと僕は思います


 映画 『いのちの食べかた』 DVD付属 ガイドブックより (森達也氏の言葉)

森達也氏の言葉に、ぶんぶんうなずく。
こうして明快に述べてくださることが気持ちよい。

『いのちの食べかた』 (原題: OUR DAILY BREAD)
2007年〜2008年の劇場公開時に観そびれたまま、ずっと記憶の片隅にあった映画。
生きることは死ぬこと、死ぬことは生きること、食べることは生きること……
すべてを生ききって死んでいったイヌコに思うことはあまりに多く、
やっぱり無性に観ておきたくなって、10月の終わりにはDVDが届いていたのだけど、
まだ観ていない。 ようやく今日、パッケージを開けたところ。
できればもっと頭がからっぽのときに観たいから、今日はやめておこう。
生まれてまもなく保健所で殺されていたかも知れない小さな命が、
最初の呼吸から最後の呼吸まで、すべてを生ききった瞬間からずっと、
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる… 思うことが、止まらない。
天使のラッパの葉の裏側にひっそりと生きていたアブラムシの命とかを、考えてしまう。
今日もヒトに食べられるためだけに生きている鶏のこととか、
偶然人間に生まれつき、今日も人間として生きている自分のこととか、そういうことを。
つづきを読む>
posted by Riccazow at 00:08 | TrackBack(0) | ひとりごちる

2009年12月16日

青い蝶

こんなところにも、青い蝶と、天使が。 二日つづけて。 ダブルで。
はっと静かに、心が深いところへ広がっていくかんじがする。
こういうのってなんかいい。 たとえ意味なんかなくても。
ああ、これでいいのだ、このまま行けばいいのだな。 そういう目印。
青い蝶 で検索したら、坂本教授と高野寛さん参加のCDがあったので試聴してみると、
まるで今の心を言い当てるかのように、今度は音の世界が深く静かに広がり、
あっという間に見知らぬ深海だった。 ここは酸素がうすくてぼうっとする。


今年の終わりが近づくにつれ、仕事の量もゆるやかに落ち着いてくる。
それにしても今日は暖房で頭がのぼせそうだったので、
休憩時間を少し遅い時間にずらし、ちょっと国道のほうまで、ひとり歩きに出た。
車がびゅんびゅん走る国道沿い、数メートル前方には、見慣れない風情の男子三人組。
ひとりはすんごいボロの服、あとのむさい二人は手になんか掲げてる。
そういえば夏休みに海の家の呼び込みとかで見かけたことあるなこういうの、というような。
つづきを読む>
posted by Riccazow at 00:18 | TrackBack(0) | ひとりごちる

2009年12月14日

ラストポートレート

akaruiroukenkaigo.jpg  roukenkaigo2.jpg roukenkaigo1.jpg

 ラストポートレート
    ――この世に生を受けて……

 ここに、間もなく生命の炎が燃え尽きようとしているどうぶつたちの
 二枚のポートレートがあります。
 一枚は、家族の愛と献身的な介護に見守られながら、
 天寿を全うしつつある子の、最後の記念写真。 (写真: 中央)
 もう一枚は、人間に捨てられ、あるいは保険所に持ち込まれ、
 暗く冷たいガス室の中で命を絶たれようとしている子の最後の肖像写真――。(写真: 右)

 彼らの運命の明暗を分けるのは、私たち人間の意識です。
 本書を通じて、言葉を持たないどうぶつたちの声なき声が、
 あなたの心に届きますように……。
 そして、どうぶつとともに暮らすことの意味を、責任を、
 自らに問い直すきっかけにしていただければ幸いです。  児玉小枝


 桜桃書房 『明るい老犬介護』 著: 児玉小枝 (p2-3)


『明るい老犬介護』 という本を手にしたのは2006年初夏のこと。
病気らしい病気をしたことのないイヌコの首が、ある日、左に傾き、
眼球が左右にグラグラと揺れ、足元はフラフラとおぼつかない。
突然やってきたその日に、近いうちに覚悟をしなければならないんだろうかと、
半べそをかきながらネットで注文したのでした。

あのときのわたしにとって、この本に載っている人たちは
ものすごく遠いところにいた気がするのだけど――
なぜならば、愛犬の死が近づいているというのに、介護する人びとの表情は一様に明るく、
亡くなった後日談としては例えば、「最後の一晩、抱いてやれたからよかったなぁ」 とか、
「家族みんなでごくろうさん、って言ったんだよ」 とか、
そんな境地にどうやったら立てるのだろうか? だって、死んじゃったのにだよ。
つづきを読む>
posted by Riccazow at 02:42 | TrackBack(0) | イヌノリカ

2009年12月12日

きらきらと手にとるように

20091212

雨上がりの翌日はベランダから覗く夕空がカラフル。
雲はひゅいーっと、風をあびたままのカタチで。

『彼女について』 につづいて、少し間をおいてから他の作品を一冊読んだあと、
ちょうど今朝、『デッドエンドの思い出』 という短編集を読みおえたところ。
どれも、よしもとばななさん近年の作品。

立てつづけに読んだ三冊は、それぞれが少しずつ似たような設定だったりで、
途中、ふうんと微妙な思いで読んでいた部分もあったのだけど、
簡素な言葉の内側をするするたどりながら行き着く景色は、
いつも、自分のなかにある景色と、ものすごく近いところにあったりする。

ヴェールを一枚ずつめくり、表層的な飾りを片づけたところに、
きっと何百年も何千年も前から、いつも同じような骨組みをもって、
ぶれもびくともせず、ただ飄々とある、静かな場所。

短編集の表題作でもある 『デッドエンドの思い出』 が読めてよかった。
目に見えないもの、通り抜けていく気配、深いところに澱む言葉にならない言葉が、
きらきらと降り積もる。 それはすごい景色。
言葉が 言の葉っぱ となって二酸化炭素を吸収し、読むひとに新たな酸素を送り込む。
よしもとばななさんの文章には、何か、そういう力があるなと思った。
つづきを読む>
posted by Riccazow at 23:11 | TrackBack(0) | イヌノリカ

2009年12月11日

おかげさま

影。 影に惹かれる。 あるとき気がつけば、影に見入っていた。
それがなぜだか自分でもよくわからないのだけど。

 光線の反射が変わるだけで、銀色から金色へと、
 みるみる輝きを変貌させていく月と、
 街路樹の緑が漆黒の影絵のごとく静かに彩度を落としていくという対照。
 月も、街路樹も、ただそこにいるだけで何ら姿を変えてはいないのだけど。


 さらさらと。- 2009.08.07

夏ごろの日記を読み返してみる。 8月7日、はっきりと自覚したのはこの辺りかなあ。
そうだ、それでその翌日、偶然目にしたのが SOUR の MV "半月" で、 (*1)
影越しにギターをつま弾き歌う横顔の影が、あのとき、脳にぶわんと差し込んできて、
そうしたらその翌日、ACTシアターの背景に映っていたのは、
"One Song Glory" (@RENT) を歌うロジャーの、横顔の、影で。 (*2)
つづきを読む>
posted by Riccazow at 01:59 | TrackBack(0) | ひとりごちる

2009年12月02日

食パンと、クロワッサン。

「録画しておいたテレビ番組に映っていた天使がラッパを吹いていたの」 と、
母が朝から、ふんふんと嬉しそうにかろやかだった。
ああ母よ、天使とラッパのモチーフはとりたてて珍しいものではないのだよ… と、
母の様子に、何だかおかしさが込み上げてくるものの、
それは言わないでおいた。

その番組とは、ピアニストである辻井伸行さんを追ったドキュメントだった。
コンクール会場の外壁に彫られた美しい天使が、金のラッパを吹いている。
何となく Dialog in the Dark のことを思いながら、(*1)
「見えないものを見よ」 のメッセージかもねこれは… そんな感じがした。

イヌコを亡くして一ヶ月半が経ち、
こうして母が嬉しい気持ちで朝を迎えてくれることが何より素晴らしいと思いながら、
12月1日、今日は母の誕生日。
つづきを読む> 【追記 12/3 11:10 コメントありがとうございます】
posted by Riccazow at 02:16 | TrackBack(0) | イヌノリカ

2009年12月01日

Origin Of Love

今夜は薄雲から覗く月のまわりに虹の環がきれい。
早い… 早いなあ。 もう12月なんですって。
いまだに8月の 『RENT』 がつい先日のことのように思えるくらいに。
数えるほどしか人がいなくなった劇場の空間に漂っていた千秋楽の不思議な余韻は、
あれは今思えば、エンジェルのほほえみの余韻に、よく似ていたなあと思う。

ぼんやりと9月、ゴーギャンの 「D'ou venons-nous? 〜」 に耽け、
10月3日のジェフ・バトルさんが素敵で。 あっという間に、秋から冬。

あさって… というか明日は、『RENT』 つながりで 『Hedwig and the Angry Inch』
初ヘドウィグ、実は昨日まで英語のまま歌われることを知らずにいたという。
今からだと 公式の和訳 に目を通すくらいしかできないかなあ。
仕事帰りのがやがやしきった脳と身体が、うまく入り込んでくれるかどうか、だ。
"Origin Of Love" の歌詞が普遍的で深い。
むかし神々がしたっていう悪事を、人間は平気でやっているよね。

Hedwig And The Angry Inch - Origin Of Love


人には3つ性があった
男と男が背中あわせ その名は "太陽の子"
それと似た形の "地球の子" は 女と女が背中あわせ
そして "月の子" はフォーク・スプーン 太陽と地球 娘と息子の中間……



無言で意思表示したい方、ひとこと言っておきたい方、クレームをつけたい方も。こちらで受け付けております。
 ウェブハクシュ
posted by Riccazow at 01:17 | TrackBack(0) | 舞台つれづれ
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。