2010年05月31日

神の子どもたちはみな踊るのだ。

身体のこのへんにうごめいているものに、ピタリと符合するタイトルに呼ばれるみたく、
村上春樹氏の短編集 『神の子どもたちはみな踊る』 を読む。

神の子どもたちはみな踊るのだ。
神の子ども… って、もちろんわたしじゃないよ。
この間連れてきちゃった真夜中のあの子がどうやらそうらしく。
(ああ、妄想著しすぎるアタクシをどうかそっとしておいてやってくださいな… 笑)

だけど、神の子じゃなくても、この感覚ってものすごくよくわかる。
数年ぶりにまた走ることをはじめてみて感じる鮮明な近しさ。
規則的に繰り返される呼吸、踵が地面を捉え、五指で大地を握っていくリズム、
身体が主旋律と副旋律の対話なら、風は伴奏のようなものかも知れない。

 音楽に合わせて無心に身体を動かしていると、自分の身体の中にある自然な律動が、
 世界の基本的な律動と連体し呼応しているのだという確かな実感があった。
 潮の満ち引きや、野原を舞う風や、星の運行や、
 そういうものは決して自分と無縁のところでおこなわれているわけではないのだ。


 新潮文庫 『神の子どもたちはみな踊る』 著: 村上春樹 (p107)

つづきを読む> 【追記 6/2 12:30 コメントありがとうございます】
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2010年05月26日

鳥の時間

明け方4時前に目が覚め、まるで眠れる気配が訪れないまま、
夏の空が近い明け方4時過ぎの明るさをベランダから眺めていたら、
ふふふ… 鳥たちの早起きっぷりがわけもなくおかしくて、妙な笑いがこみ上げてくる。
イヌコがいた一年前には、そういえばこんな時間にもよく起きていたのでした。
朝じゃなくて、真夜中のおわりの4時として。
ああ、こんな時間だけど無性に走りたい。

夜の端っこから朝へとつながっていくみたいに、
オリジナルラヴの "フェアウェル フェアウェル" と "心 angel heart" に、
きのうの夜読んだ、あるひとの文章から感じた そのつづきをイメージしてみる。
朝へ向かう道で、真夜中に置き去られたまま迷子になってる小さい女の子がいたから、
わたしはその子の小さな手を引いて、朝の光の方角に向かってびゅんびゅん走っている。
どうしようもなく浮かんでくるイメージに、今朝は、そんなかんじで走ってみた。

 真夜中の淵に腰掛けて 天使が静かに泣いている…
 "フェアウェル フェアウェル"  goo 歌詞


 小さな手 繋いでる この朝の静けさ
 泣き声は 黄金色 暗闇にも光れ
 (中略)
 目覚める命 限りなく響かせて
 目覚める命 研ぎ澄ませ…

 "心 angel heart"  YouTube goo 歌詞


人間が起きてくる前にこっそりと、実は歩道で遊んでいるハトやスズメの姿に、
早朝の住宅街の歩道には、鳥の不思議な時間が流れてるかんじがした。
ぷぷぷ… かわいすぎてまいる。


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2010年05月23日

A Day in the Life  数珠的に。

早い時間に目が覚めて、今日は雨がたくさん降るって言ってたから
顔に水滴があたるかあたらないかの今のうちに歩いてこようかしらと迷っているうちに、
通りを走る車から、タイヤが巻き込む水の音が聞こえてき出して、
それじゃあレインコートを着てみようかしらね、たしかあのへんに… と、
物置と化した部屋のある一角を探しはじめるも見つからないや、とかやっているうちに、
長いこと物置と化していたその一角が、きれいに片付いてしまった。
何とかせねばと知りながら、ずーーっと、見て見ぬふりをしてきたわけだが(笑)
そもそもわたしはレインコートを探したかったのか、
実は片付けるチャンスを狙ってたあのひとがレインコートにとびついたってことなのか、
むむむ。  まあ、なんか、片付いてた(笑)

結局レインコートは見つからず、いつの間にか時計は10時をまわり、
あまり期待をせずに、近くの日用品を売っているお店をのぞいてみたら、
チュニックみたいなカタチをした、緑のタータンチェックのレインコートが置いてあった。
わあ。 なんかいいかも。 これくださいな。

雨の日の植物のにおいが、静かに立ち昇ってくる。
顔にあたる雨と、ちょっとやみつきになりそうな雨の日のジョグ。

つづきを読む (ダラッダラとニッキ)>
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2010年05月22日

魚のようなものの絵

うわーん、夏みたいな一日がはじまりそうな5月の雨上がりの翌朝に、
竜宮城からの使途がこんなところで何を。
歩道のないこんな道の真ん中をみどりいろの亀の赤ちゃんが歩いておられる。
ひとまず隣りの公園の、この草の陰のとこに避難しておいてくださいな。
あああ、秒単位で電車の時間が迫っている。 どうかご無事でありますよう。
そしてわたしは駅への道をただひたすら走る、夏みたいな5月の朝に。

夢を憶えていられない自分を意識した4月のはじめのあの頃から、(*1)
よく夢をみるようになったし、夢を憶えている朝が多いし、
目覚ましが鳴る30分〜60分くらい前に目覚めたりすることが、ままある。
あきらかに、眠りの種類がすこし変わったような気がしている。
これがいいのか悪いのか、それはさておき、
自分が何かを思えば、それは確実に無意識層にまで届いてるってことなのだな。
それがいいことでも悪いことでも、楽しいことでも、たぶんみんな。

         −−−−−−−−−−−−−−−

身体という潜水服に閉じ込められながら、左目の瞬きだけで綴られた言葉。
ひと文字、ひと文字の、尊い瞬間。
『潜水服は蝶の夢を見る』 の原作本がやってきた。(*2)
本を手にとった瞬間、なぜだかわからない静かな震えが込み上げてきた。
なにか尊い記憶に触れたような、
思い出せない夢のようにおわっていった映画のつづき…
意味になる前の言葉、感じきれないままに眠っていた何か、うまく言えないのだけど、
ああ、それはたしかにここにある そういうかんじがした。

つづきを読む (個人的なメモとしての抜粋)>
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2010年05月18日

青い蝶のこととか

 あなたが私に気づいているとき、あなたはあなた自身にも気づいている
 あなた自身を通して私に気づくことはできない
 あなたが私に近づいているのは
 私があなたに近づいているから
 私はあなた自身より、あなたに近いところにいる
 あなたよりも、あなたの息よりも


 ――イブン・アラピー 神の顕現の書 最後の詩篇から


何となくわかったつもりの少し手前にいた気がする14ヶ月前のこれを、(*1)
ふーっと思い出したように読み返してみたら、
無限で広いあの場所から、意味に翻訳されるよりもっと前の、
言葉になる前の言葉が、わきあがってくるかんじがした。

私… あなた… あなた自身……

ずっとここにいる気がするのに、あのときのここに、わたしはもういなくて、
何ら変わることなく過ごしている瞬間の連続性のなかで、
すべては脈々と変化しつづけている。
この瞬間にも、この瞬間にも、この瞬間にも。

ああ、生きてるってなんかすごいやと、ほんとばかみたいに、
そんなことをおおまじめに思ったりする今日。

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2010年05月16日

日曜の午前中に。

追記 21:55 金星の下にぶらさがった三日月がピアスみたいな。 19時くらいの月。

おんなのひとは月のバイオリズムに生きている。
こればかりはもうどうしようもなく。
ひゅんとした月が満月にむかってむくむく膨らんでいくように、
あらゆるものを溜め込みたがっていた身体から、ようやく解放されたかんじ。
砂浜を覆っていた大量の海水がひいたあとみたいに、
ふくらはぎには水に覆いかくされていた筋肉のすじがうっすら浮きあがって見える。
突如、部屋の片付けをはじめたいという思いに突き動かされる。
内と外、意識と行動、身体と宇宙、この世は無限の相似形、フラクタルでできている。

 創造する人は独自の世界でなければならないし、
 あらゆるものを、自分のなかと、自分がつき従った自然のなかとに
 見いださなければならないからです。

  ―― 『若き詩人への手紙』 リルケ (訳: 佐藤晃一)


これまでは夕方とか夜ばかりだったのだけど、
はじめて日曜日の午前中という時間帯を走ってきた。
白のキャップ、顔には白の日焼け止めクリーム、
白い古着の長袖シャツと、RUSTY のハーフパンツはネイビー、
GESTS の白ソックスに、白のシューズ… (ぜんぶ昔つかってたもの)
ふだんの黒から白に変えただけで、身体のなかに風が通っていくっていうのがすごい。
そうでした、こういうのが大切なのでしたと、深く実感させられる瞬間。
先週までとはうって変わって、ほどよく水が抜けた身体は軽い軽い。 どんどん走れる。

つづきを読む (ただのニッキ)>
posted by Riccazow at 17:11 | TrackBack(0) | ひとりごちる

2010年05月14日

影とか地下水路とかオペラ座とか

小説には、あの世界のお話しが書かれているんじゃないかしらという気がしながら、
恒例となった高橋源一郎氏のつぶやきを拝見して、どきりとする。

 『「悪」と戦う』 はこんなお話です…… (中略)

 気がついた時、世界からすべての人影が消えています。
 なぜなら、「悪」がやって来て、世界を空っぽにしてしまったから。
 「世界」を取り戻すために、子どもたちは出発します。

 http://twitter.com/takagengen/status/13857022638

ごく個人的にここ二日分は、やや見せすぎ映画予告レベル(笑) かも知れぬ。
お願いだからこれ以上は語ってくださるな ということで、
最終日のつぶやきは読まないでおこうっと。

 影の意味の重大さについて、影を失くした男の経験ほど、
 われわれに強く訴えかけてくるものはないであろう。

 講談社学術文庫 『影の現象学』 著: 河合隼雄 (p11)

『影の現象学』 1章のいちばんはじめに紹介されていた
シャミッソーの 『ペーター・シュレミールの不思議な物語』
アンデルセン童話の 『影法師』 ―― "影を失くした男" の話を思い出した。

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posted by Riccazow at 00:33 | TrackBack(0) | 舞台つれづれ

2010年05月10日

ジゴクソバ

20100510

近ごろいちばん好きだなと思うのは、夕方の青。
紺とも藍ともつかない、深いラピスラズリ色みたいな。
ここが明け方なのか夕方なのか、夜のほんの手前の
いつでもない空間にいるみたいなあのかんじには、ぼーっとしてしまう。

今日は月曜日だけど、お休みです。
なんかいいなー。 紫色のお茶と、外はほどよく曇っていて、昼間が静かで。
家にいても、外にいても、どこにいても、このところの連休特有のにぎやかしさと、
晴れ間つづきのにぎやかしさとに、ちょっと疲れていたことに気づく。

さっき久しぶりに家の裏庭にまわってみたら、たくさんのドクダミが生えていた。
地下茎で蔓延る裏庭のドクダミ…… (*1)
放っておくか、ひたすら駆除か、白い十字の花を愛でるか、
彼らの解毒作用を利用すれば、体内に取り込んでともに生きることもできる。 さて。
無意識層への向き合い方との相似と、生きるしくみのおもしろさ。


*1: ドクダミの別名、これがすごい。 「地獄蕎麦 (ジゴクソバ)」
   ひどいなーと思いながらも、申し訳ないが、そのネーミングセンスには膝をたたいた。



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2010年05月08日

野生の思考

何日か前から拝読している 作家: 高橋源一郎氏のツイッターから発信される声に、
内的な近しさを感じている今日この頃。 http://twitter.com/takagengen

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2010年05月06日

宝が歩いてる

数ヶ月前、イヌコが死んだちょうど一週間後に犬を亡くした近所のひとが、
「思い出すと辛いから、うちは骨壷を買って納骨堂にあずけてきたの」 と話していた。
うちはといえば、火葬をしてくださった山崎さんが探してきてくれた (*1)
モーニングクロワッサン(笑) の小さなダンボール箱に納まったまんま、 (*2)
リビングのテーブルの上で、わたしが毎日のようにさわったり眺めたりしていた。
「四十九日が過ぎたらちゃんと埋葬してあげないと、成仏できないわよ」
母は、別のご近所さんから、こんなことを言われたらしい。

羽の破れた蝶の背中に乗って散歩してただとか、
天使のラッパがやってきただとか、そんなことを真顔で話したら、
「ダイジョーブかしら?」 きっと皆さん目をまんまるくしてしまうだろう。
だからイヌコの魔法のことは、ここだけの秘密にしてある。

イヌコが死んでから、散歩犬とすれ違うたび、追い越すたびについ、
「ぷぷぷ。。。 こんなところを宝が歩いてる!」 と、つぶやきたくなってしまう日々。
みんな豊かな一生を過ごせますように。
しあわせな老後をおくれますように。
介護イヌ生活になっても、大切にしてもらうんだよ。
どの子にも、一生を笑って生ききることができる可能性がある。
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posted by Riccazow at 22:04 | TrackBack(0) | イヌノリカ

2010年05月02日

映画 『アリス・イン・ワンダーランド』

caterpillar AliceinWonderland

職場のひとに誘われて、初の3D映画体験。
アリス本編前の予告にぞろぞろ出てきた小人星人みたいな方々に、
近未来眼鏡をかけたあたくし、あやうく手を振りそうに(笑)

まあ、なんだその… ディズニーランドのアトラクションだと思えばいいのかな。
おそらく最初で最後の近未来眼鏡、ということで。

アリスのお話って、実はこの映画を観るまでよく知らなかったのだけど、
青い芋虫がもくもくとくゆらす煙のなかの夢…
まさに、荘子さんの 『胡蝶の夢』 の世界そのものなのね。 (*1)

 荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。
 果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、
 あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。


芋虫に出会い、ウサギの穴に落ちる、ドアの鍵、小さくなる薬、大きくなるケーキ…
瞬間瞬間の連続性に導かれるように、
ぶわんと大きくなったり、小さくなったりを繰り返しながら、
いくつもの問いに対峙していく。
つづきを読む (ネタバレあり)>
posted by Riccazow at 17:08 | TrackBack(0) | 映画を観る
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