2009年11月29日

きらめく炎 かがやく火 とぶ火花

#高橋大輔選手の "La Strada 道" で、一年ぶりに映画を観たくなった先日からのつづき…
 のようなもの。 ごく個人的な覚え書きとして。 2009.11.12 - ジェルソミーナの種


「きらめく炎 かがやく火 とぶ火花 夜!」

へし折った木の枝でぶたれながら芸を仕込まれ、
ザンパノの暴力にすっかり怯えきったジェルソミーナが、
大きく燃え上がる焚き火の前で、おどろおどろしく唱える呪文のような言葉。
そして、こうつぶやく。

「あさっては雨よ ええ 雨だわ」

天の気配を知覚するかのごとく。
波にまとわりつくように迎えられ、空に見守られ、砂浜に泣き咽ぶその瞬間まで、
ザンパノには、その意味がまるでわからない。

         −−−−−−−−−−−−−−−

心境的なものか、今は、生きていくことへの温かさが純粋に感じられるものや、
野生の知覚を揺さぶられるようなものに、身体が強く反応を示している気がする。

野生の知覚を… というのは、つまり、大地に生まれ、生き、還っていく生命、
人間も動物も皆、すべての命は地球を構成する自然環境の一部である、というような。
自分のなかに在るこの感覚が拡大されていくのを感じたのは、
先月、イヌコが亡くなった日の晩だった。
トルコキキョウの花びらの裏側を走る細く繊細な血管に。
蝶の羽に刻まれたテキスタイルのような模様の緻密さレベルに。
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posted by Riccazow at 03:08 | TrackBack(0) | 聖書を知る試み

2009年11月12日

ジェルソミーナの種

#高橋大輔選手の "La Strada 道" で、一年以上ぶりに映画を観たくなった昨夜からのつづき。
 花を摘み、木の枝になり、幹の鼓動に耳を澄ませ、トマトの種を植える。
 白痴という設定のなかにも、わたしがジェルソミーナから強く感じたのは、野生の知性。
 昨夜から中途半端にぐるぐるしていた謎が解けた気がするのでメモっとく。



「トマトの種を植えたの」 ジェルソミーナが嬉しそうに。
種はいずれ芽を出し葉を茂らせ、実ったトマトたちは真っ赤に色をつける。
つまり、一緒に生きていきましょう というメタファーであり、メッセージ。
ほんの些細なワンシーンのなかに、ジェルソミーナからザンパノへの、
極上の愛情表現が描かれている。

古いモノクロフィルムなので、細かな表情が読み取りきれないのだけど、
「いったい何を考えているんだ」 と、大きな声でぶっきらぼうに怒鳴りながらも、
オート三輪を運転するザンパノの表情が一瞬、ふっと緩むんだよね。
そして、ジェルソミーナに果物 (りんご?) をあげるの。
ああ、二人はここでちゃんと成立してるんだな。 と思った。

しかしなにかこう… ものすごく大切なこと、見逃しちゃいけないことが描かれている
気がしてならないのだけど、何か足りないような、たぶんどこかが違う。
まさに昨夜のタイトル 「トマト」 の意味不明さがそれだ(笑)

つづきを読む> 【追記 11/13 13:20 コメントありがとうございます】
posted by Riccazow at 01:43 | TrackBack(0) | 聖書を知る試み

2009年10月08日

火の後に、静かにささやく声が聞こえた。

何年ぶりだかわからないくらいなかんじで読み直していた 『サロメ』 に
"ユダヤ人預言者: エリヤ" の名がしきりに出てくるので
彼も聖書のひとなのでしたっけと行き着いた旧約の列王記をふんふん読んでいたら、
ふいに、"Sound Of Silence" とすれちがった気がして、はっとする。


 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。
 見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。
 主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。
 しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。
 しかし、地震の中にも主はおられなかった。
 地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。

 火の後に、静かにささやく声が聞こえた。

 それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。
 そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」


  旧約聖書 列王記上 19: 11-13

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posted by Riccazow at 21:26 | TrackBack(0) | 聖書を知る試み
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