2010年07月18日

Sayonara

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今日も庭のハナミズキを下から眺めていた。
葉脈をつけた葉っぱ一枚一枚が背中みたいに、枝にはたくさんの背中が生っている。
ただそう思うだけで、葉っぱもわたしも、まったく同種の生き物なんだって、
ちょっとしあわせな気持ちになれたりする。
瞬間ごとに表情を変えていく風と葉と光のすき間を愛しく思う。
あの日の鳩も、蝶のさなぎも、魔の月の日に蛇が食べた鳥の卵も、
サヨナラはこの瞬間にも、この瞬間にも、この瞬間にも。
今日、すぐそこを大きく羽ばたいていたアゲハ蝶の命は奇跡だと思う。

つづきを読む (『翼よ、北に』 引用のみ)>
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2010年06月19日

8ヶ月

8ヶ月が8日目のようにあっという間で、
8年よりも長く感じられるだなんて知らなかった。

I wish you bluebirds in the spring… を口ずさんでくれて、
Snow White (And The Seven Dwarfs) を教えてくれて、どうもありがとう。

紅い金宝樹の下に、鳩のたくさんの小さな羽が落ちていたその4日後の朝、(*1)
今度は、アゲハ蝶のさなぎの姿が見えなくなっていた。
羽化するまでには、まだまだ日数があったはずで、
きっと、あの子は、蝶としては生きられなかったのですね。
グレーの膜のなかに、うっすらと、きれいな模様が見えはじめていたところでした。

ふたりとも、同じあの朝に、偶然やってきて、そしていなくなってしまった。(*2)
あたりまえなどない生死の際を伝いながらめぐっていく
たくさんの小さな命のことを思いました。

さなぎの姿が見えなくなったあの日は、2010年6月15日。
2009年10月15日、イヌコが死ぬ肌寒い秋の日に、(*3)
青いお星の毛布にくるまれて眠っていたイヌコと、
そっと、握手をして家を出たあの朝の瞬間から、ちょうど、8ヶ月がめぐったところでした。

8は復活のしるし、8は無限大、8は∞、宇宙は蝶のカタチ……


Lisa Ono - I Wish You Love

I wish you bluebirds in the spring
To give your heart a song to sing……


*1: 2010.6.13 - 羽
*2: 2010.6.10 - 鳩と蝶
*3: 2009.10.16 - Angel と Adios Nonino



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2010年05月06日

宝が歩いてる

数ヶ月前、イヌコが死んだちょうど一週間後に犬を亡くした近所のひとが、
「思い出すと辛いから、うちは骨壷を買って納骨堂にあずけてきたの」 と話していた。
うちはといえば、火葬をしてくださった山崎さんが探してきてくれた (*1)
モーニングクロワッサン(笑) の小さなダンボール箱に納まったまんま、 (*2)
リビングのテーブルの上で、わたしが毎日のようにさわったり眺めたりしていた。
「四十九日が過ぎたらちゃんと埋葬してあげないと、成仏できないわよ」
母は、別のご近所さんから、こんなことを言われたらしい。

羽の破れた蝶の背中に乗って散歩してただとか、
天使のラッパがやってきただとか、そんなことを真顔で話したら、
「ダイジョーブかしら?」 きっと皆さん目をまんまるくしてしまうだろう。
だからイヌコの魔法のことは、ここだけの秘密にしてある。

イヌコが死んでから、散歩犬とすれ違うたび、追い越すたびについ、
「ぷぷぷ。。。 こんなところを宝が歩いてる!」 と、つぶやきたくなってしまう日々。
みんな豊かな一生を過ごせますように。
しあわせな老後をおくれますように。
介護イヌ生活になっても、大切にしてもらうんだよ。
どの子にも、一生を笑って生ききることができる可能性がある。
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2010年04月28日

blueberry

4月25日、ようやくイヌコの骨を土に還すことができた。
"ジェルソミーナの種" が頭のなかにやってきたあのときから、(*1)
骨を埋めた上から種をまいてあげたいという思いがあったのだけど、
さてこれから冬に向かっていく、という季節にまく種があるはずもなく、
肌寒い空の下、庭のどこに埋めてあげたらいいのか、
こちらもまた、まるでイメージが湧いてこないまま、
それならそれで急ぐ必要ないのかもねと、この冬は、家のなかで過ごすことに。

透明な黄緑色の羽をした黄色い頭のあのひとが
小さなブルーベリーの木の枝で寝ていた今月はじめのあの日、(*2)
翌日になってようやく、ああ… と。  ピースがそろっていた。
ぜんぜん気づいていなかったことに、はっと気づいたような気がして、
そのまま、ブルーベリーの木の下に決まったのでした。
隣りには、フラクタル宇宙な、ハナミズキの木。(*3)
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2010年04月15日

半年。

風に散るたくさんの桜の花びらが、朝の国道を走っていた。
ときどき車輪に吸い込まれそうになりながら、えいやーっと宙返りしては、
車輪のあとを、うわーっと一斉にくるくるおいかけていく姿は、
風の歯車に生をゆだねながら、死んでいくことを楽しんでいるひとみたいだった。

そして仕事帰り、日が長くなったせいで、久々に夕焼けを見ることができた。
ふるふると半熟卵みたいな、今にも漏れ出しそうな夕日。
西の空をいのちの色に染めながら、空は一日を生ききっていくのだなあ。

イヌコが死んで、ちょうど半年が経とうとしている。
一年前、死はどこか遠いところにあった。
わからないから、感じようにも感じることができないもの。 それが死だった。

人体の細胞はだいたい半年くらいで入れ替わるというけれど、
この半年間で、自分のなかの何かが、総書き換えされたくらいのかんじがある。
なんかもう、自分のことなのに、考えるだけでくらくらしそうになるほどに。
当たり前だけど、自分がみている世界は、世界のほんの表層にすぎなくて、
あまりにものを知らなすぎる自分を思い知っている真っ只中に、今はいるかんじ。


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2009年12月14日

ラストポートレート

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 ラストポートレート
    ――この世に生を受けて……

 ここに、間もなく生命の炎が燃え尽きようとしているどうぶつたちの
 二枚のポートレートがあります。
 一枚は、家族の愛と献身的な介護に見守られながら、
 天寿を全うしつつある子の、最後の記念写真。 (写真: 中央)
 もう一枚は、人間に捨てられ、あるいは保険所に持ち込まれ、
 暗く冷たいガス室の中で命を絶たれようとしている子の最後の肖像写真――。(写真: 右)

 彼らの運命の明暗を分けるのは、私たち人間の意識です。
 本書を通じて、言葉を持たないどうぶつたちの声なき声が、
 あなたの心に届きますように……。
 そして、どうぶつとともに暮らすことの意味を、責任を、
 自らに問い直すきっかけにしていただければ幸いです。  児玉小枝


 桜桃書房 『明るい老犬介護』 著: 児玉小枝 (p2-3)


『明るい老犬介護』 という本を手にしたのは2006年初夏のこと。
病気らしい病気をしたことのないイヌコの首が、ある日、左に傾き、
眼球が左右にグラグラと揺れ、足元はフラフラとおぼつかない。
突然やってきたその日に、近いうちに覚悟をしなければならないんだろうかと、
半べそをかきながらネットで注文したのでした。

あのときのわたしにとって、この本に載っている人たちは
ものすごく遠いところにいた気がするのだけど――
なぜならば、愛犬の死が近づいているというのに、介護する人びとの表情は一様に明るく、
亡くなった後日談としては例えば、「最後の一晩、抱いてやれたからよかったなぁ」 とか、
「家族みんなでごくろうさん、って言ったんだよ」 とか、
そんな境地にどうやったら立てるのだろうか? だって、死んじゃったのにだよ。
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2009年12月12日

きらきらと手にとるように

20091212

雨上がりの翌日はベランダから覗く夕空がカラフル。
雲はひゅいーっと、風をあびたままのカタチで。

『彼女について』 につづいて、少し間をおいてから他の作品を一冊読んだあと、
ちょうど今朝、『デッドエンドの思い出』 という短編集を読みおえたところ。
どれも、よしもとばななさん近年の作品。

立てつづけに読んだ三冊は、それぞれが少しずつ似たような設定だったりで、
途中、ふうんと微妙な思いで読んでいた部分もあったのだけど、
簡素な言葉の内側をするするたどりながら行き着く景色は、
いつも、自分のなかにある景色と、ものすごく近いところにあったりする。

ヴェールを一枚ずつめくり、表層的な飾りを片づけたところに、
きっと何百年も何千年も前から、いつも同じような骨組みをもって、
ぶれもびくともせず、ただ飄々とある、静かな場所。

短編集の表題作でもある 『デッドエンドの思い出』 が読めてよかった。
目に見えないもの、通り抜けていく気配、深いところに澱む言葉にならない言葉が、
きらきらと降り積もる。 それはすごい景色。
言葉が 言の葉っぱ となって二酸化炭素を吸収し、読むひとに新たな酸素を送り込む。
よしもとばななさんの文章には、何か、そういう力があるなと思った。
つづきを読む>
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2009年12月02日

食パンと、クロワッサン。

「録画しておいたテレビ番組に映っていた天使がラッパを吹いていたの」 と、
母が朝から、ふんふんと嬉しそうにかろやかだった。
ああ母よ、天使とラッパのモチーフはとりたてて珍しいものではないのだよ… と、
母の様子に、何だかおかしさが込み上げてくるものの、
それは言わないでおいた。

その番組とは、ピアニストである辻井伸行さんを追ったドキュメントだった。
コンクール会場の外壁に彫られた美しい天使が、金のラッパを吹いている。
何となく Dialog in the Dark のことを思いながら、(*1)
「見えないものを見よ」 のメッセージかもねこれは… そんな感じがした。

イヌコを亡くして一ヶ月半が経ち、
こうして母が嬉しい気持ちで朝を迎えてくれることが何より素晴らしいと思いながら、
12月1日、今日は母の誕生日。
つづきを読む> 【追記 12/3 11:10 コメントありがとうございます】
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2009年11月16日

天使のラッパ

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神の遣い (天使) であるジェルソミーナが映画のなかでラッパを吹いていた翌朝、
季節外れの花が咲きそうだからと、今日は雨が降るかも知れないからと、
肌寒い朝の庭先から、唐突にリビングの窓際へと母が運んできたのは、背の高い鉢植え。
花の名前を尋ねると、何だったかしらと、しばらく思い出すようにしながら、
少しの間をおいてかえってきた答えは "エンゼルトランペット"
うは… 天使のラッパ。 そうきたか。

エンジェル (RENT) に、天使の協奏曲 (A. Piazzolla) に、
あのときのアゲハ蝶に、ジェルソミーナに、エンゼルトランペットに、
気がつけばこの一ヶ月、うちには大勢の天使がいる。

その日、花が咲き開く瞬間を見逃すまいと、
朝からテーブル越しに様子を覗っていた母が席を離れたほんの一分程度の隙を見て、
夕方、ばあと開いたのは、白いラッパの花。
まるでこちらをからかうかのように、絶妙すぎるタイミングで。
ぷぷぷ… これはもうイヌコに間違いない(笑)
母は嬉しそうだし、わたしは楽しいし、そういうことにしておきましょうか。

10月15日、そういえばイヌコは父の誕生日に亡くなったんだったなあ。
母とわたしの二人でイヌコの面倒をみました、というようなことを書いたけれど、
そもそも父がいなければ、あの子をうちに迎え入れることはできなかったのだ。
イヌコが亡くなって一ヶ月、なんとも、すべてが不思議なような。


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2009年11月10日

トマト

ト、トマト。 タイトルが思いつかない…。

古代日本における白い犬は神の遣いだったらしいよと、母と二人でぷぷぷぷと笑い合う。
笑いのネタにしてごめんよイヌコ。
笑うたびに細胞は揺れるし、細胞と細胞の間をあったかい風が走ってくかんじがする。
笑うってことは、生きることへの感謝に似ているのだなあと気づかされる。
君の話になると笑いが絶えない。 それだけでもう、じゅうぶんに神だ。

 たくさんの笑いで心を揺さぶることができたら、悲しみは一滴で十分。
 ―― 『ガス人間第1号』 舞台パンフより  脚本・演出: 後藤ひろひと氏の言葉

そう、思い出した。 ガス人間。 すっかり書きそびれてしまったけれど、いい舞台だった。
観たのは先月、イヌコが亡くなる五日前。 後藤ひろひと大王の言葉に惚れてまうのよ。

そして青とか黄とか風とか旅とか、はっと静かに、心はめまぐるしく動く。
それはそこかしこにこっそりと、けれども、くっきりと、ある。

映画 『道』 のDVDを一年以上ぶりに観る。 時間がなかったので前半45分だけ。
トマトの種を植えるジェルソミーナ、赤く熟す、人間の動物的本能、生きる営み。


#BS-HiにてNHK杯三昧な週末! 書きたいことはいろいろあるのだけどまた次に。


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2009年11月07日

へんてこな魔法

kanojo ni tsuite

田口ランディさんの 『パピヨン』 から、
ふいに、よしもとばななさんの 『彼女について』 へとたどり着き、
なぜだか中学生以来にばななさんを手にしているという自分を妙に懐かしがりながら――

ぶわっと涙があふれ、つぎの瞬間には、わーわーと泣いていた。
こんなに泣いたのは一体いつ以来だろう。
ほんとうに イヌコの蝶 に導かれているのかも知れないなあと錯覚してしまうくらいに、
すごい読書体験だった。

 この世は蝶が見ている夢。
 そういえば古代中国に、そんな逸話があったことを思い出す。
 ふふ… なんかおかしい。

 たとえば蝶の羽ばたきのような - 2009.10.31

だって、本のなかには、『パピヨン』 の読後に想像した世界のつづきがあったのだ。
ばななさんの物語を介して、イヌコからわたしに、きらきらと、宝物のような声。
目に見えるものがすべてではないし、見えるものがそれそのものとは限らないと思ってる。
この間からずうっと、なんだかイヌコのへんてこな魔法のなかにいるみたいな気がするよ。

 私たちはもしかすると彼等・彼女達が「死に瀕する時」にこそ、
 最もすばらしい「経験」をいただくような気がするのです。
 その「経験」は、死に触れることの悲しみや苦しみを超えて、
 心に大きな豊かさを与えてくれます。
 もしかしたら、それこそがロス女史の言う「愛」に近いものなのかもしれないな、
 と思っています。 (2009.10.31 rさんからいただいたコメントより一部抜粋させていただきます)

ぜんぜんまだまだ、ほんとうは何もわかっていないのかも知れないけれど、
だけどやっぱり、この意味が少し、わかるような気がするのだ。
どんな種類の感情よりも強く美しいと確信できる豊かさ大きさあたたかさに、
イヌコが亡くなってしまったというのに、まさかこんな感情がもたらされるだなんて、
一ヶ月前の今日には、まるで想像できなかったもの。

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>追記 11/8 15:50 コメントありがとうございます
posted by Riccazow at 11:53 | TrackBack(0) | イヌノリカ

2009年11月03日

Over the Moon



灯りを消したお風呂で 『RENT』 を観ようとポータブルDVDを持ち込んだら
30秒もしないうちに充電が切れた。
すると何やらくもりガラスの外が異様に明るい気配で、ほんの少し窓をあけてみると、
そうでした、今夜は満月だったのでした。
東の空に、煌々と。
昨夜の雨で、大気の塵も、雲も、みんな洗い流されて、
きーんと研ぎ澄まされた夜の空がきれい。

いつ埋めるとも決めないまま、まだ家の中にいるイヌコの骨も、
せっかくなら満月の日に埋めてあげればよかったかなあと思いながら、(*1)
満月浴の話を思い出したので、わたしの好きなスプーンの形に似た骨を選んで、(*2)
湯上りの少しの間、ベランダで満月にあててあげました。
つづきを読む>
タグ:RENT
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2009年10月31日

たとえば蝶の羽ばたきのような

#ごく個人的な覚え書き。 本のレビューではありません。

イヌコの蝶 に導かれるままに、田口ランディ氏の 『パピヨン』 を一気に読んだ。
なんとなく読まず嫌い的な、生理的なにおいのかみ合わなさから、
これまで彼女の本を手にとったことはなかった。
ちゃんと読んだこともないくせに、それもなんだかなー、な話だよね。

あまりに既視感のある光景、無意識に刻まれた記憶の断片、
個人的すぎるくらいによく知る感情や、ふいに現る言葉の、連続。
エリザベス・キューブラー・ロス女史 の蝶を追い求めながら
シンクロニシティに導かれていく田口さんの内側に、
まるでいまの、もしくはいつだかの自分を見ているような気がしながら。
(あ、こういう思い込みの激しいところも含めて… 笑)

シンクロニシティという言葉が頻繁に出てくる。
意味ありげな偶然の連続。 不思議なまでの一致。 共時性。
ユング語を用いれば、これらをシンクロニシティと呼ぶのだそうな。

 ユングは、全てではないにせよ、いくつかの 「偶然の一致」 は
 単なる文字通りの 「偶然」 ではなく、非因果的な複数の事象の「同時発生」か、
 あるいは普遍的な事象を作り出す力の連続性によるものであると信じたのである。

 Wikipedia - シンクロニシティ

つづきを読む> 【追記 11/1 17:40 コメントありがとうございます】
posted by Riccazow at 14:10 | TrackBack(0) | イヌノリカ

2009年10月21日

蝶に乗って散歩

もっと悲しみに打ちひしがれるものかと想像していたのだけど、
イヌコの死を受け入れた今、わたしのなかにあるものは
不思議なほど安らかな幸福感ばかりなのだから驚く。

寝たきりイヌ生活の一年三ヶ月はとくに、老犬性痴呆の進行をいいことに(笑)
それはもうわがまま放題、お世話してもらい放題、食べさせてもらい放題、
夜鳴きし放題、マッサージしてもらい放題、うれしいときには笑い放題 (笑顔をつくるのだ)
リビングの床に布団を敷き、わたしと母とが、ひと晩交代でイヌコと寝ていた。
まあ、たいがいは鳴いたり寝たり食べたり飲んだり笑ったりしているうちに、
深夜でも明け方でもないような時間を迎えていたわけだけど。
大河の宮崎あおい嬢にちなんで、わがままイヌコは "姫さま" と呼ばれていた。

すべてにおいて出し惜しみなく、歩ききったし、生ききったんじゃないかな。
うちに来てくれてほんとうにありがとう、ありがとう。
10月15日、息をひきとって間もないイヌコのあったかい背中をさすりながら、
涙といっしょにこみ上げる思いと、言葉は、 ありがとね、 ただそれだけだった。

つづきを読む> 【追記 10/23 20:50 コメントありがとうございます】
posted by Riccazow at 11:46 | TrackBack(0) | イヌノリカ

2009年10月16日

Angel と Adios Nonino

病を発症させたエンジェルが、白の上下を着て、膝を折るように横たわっている姿を、
いくら21列目だったからとはいえ、遠くてはっきり見えなかったからとはいえ、
うちのイヌコと見間違えたことは内緒だ。 (@ACTシアター 8/9 RENT) (*1)

 大切な家族を亡くしたひとたちのために
 僕の役を捧げたい

 Justin Johnston as Angel RENT Filmed LIVE on Broadway

数日後、エンジェルは亡くなってしまうのだけど、
白い布が光を透し、しゃらしゃらとヴェールのように、
まるで神のところに嫁いでくみたいにきれいな姿で、
この世から消えてゆく最後の一瞬、ふーっと神々しく微笑むんだよね。

自分にとって、どうやって死を受け入れるのが幸せなんだろうかと
数日前、ふと思いごとをしながら思い浮かんだのは、
この光のなかで微笑むエンジェルの最後と、
ジェフリー・バトル "Adios Nonino (さようなら、お父さん)" の フィニッシュ だった。 (*2)
天に逝った父を悼み、光のなかに残像をつかむように悲しいのに穏やかに。

まるで呼応するかのようなふたつのシーンには、きっと、
キリスト圏でいう "死は祝福" の概念が流れているのだと思う。

つづきを読む> 【追記 10/17 12:29 コメントありがとうございます】
posted by Riccazow at 02:13 | TrackBack(0) | イヌノリカ
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